「受喜与幸~受ける喜び、与える幸せ~」 

新原 豊(にいはら・ゆたか)

Vol.8 困難の中でこそ希望の本当の意味がわかる

 患者さんは、希望の意味とそのありかについても私に教えてくれました。


 同じように病気になり、同じように死を迎える。その状況に変わりはないのに、限られた生に自分なりの意味を見いだして、刻々、死に向かっていく時間を懸命に生きようとする人もいれば、絶望感にとらわれて、生きる努力を放棄し、大切な命をみずから投げ出してしまうような人もいます。


 同じ境遇に置かれながら、ある人は希望を忘れず、ある人は絶望に閉ざされる。このことはつまり、希望は状況から生じるのではなく、その状況を受け取る人の心のありようから生まれることを示してはいないでしょうか。


 すなわち、希望はまわりが決めるものではなく、自分の心が決めるものなのです。だから、希望を抱くのも絶望にうちひしがれるのも、みんな心が決めること。希望も絶望も、幸福も不幸も、喜びも悲しみも、つまるところ、みんな心がつくり出す状態なのです。そして、謙虚に希望を探せば、それは必ず心に宿るのです。


 希望は死に臨んでいる人以上に、生きている人にとってより必要で、大切なものではないでしょうか。どうしたら、この苦しみの多い人生を希望を失わずに生きていけるか……。その心に希望の種を蒔(ま)いて育てることは、私たち一人ひとりに与えられている特権なのです。


 このコラムで私が考えてみたいのが、まさにそのことなのです。日本は大震災がもたらした無力感からいまだ完全に立ち直ってはいないように思えます。また、政治的にも自然破壊のなかにも不安定な今の世界の状況もあり、閉塞(へい そく)感の強い、希望を感じにくい時代に私たちは生きています。


 そのような状況にあって、困難の中に希望の芽を見いだし、無力の中から力を生み出そうとする試みは、けっしてムダや無益なことではないはずです。

 では、どうしたら心に希望の灯(ひ)をともせるのでしょう。そのヒントは生命の営みの中にちりばめられています。


 たとえば、生命のはたらきは、つねに「得るよりも与えやすく」できており、「与える」という行為によって、私たちがより幸せに生きられることを示唆しています。


 聖書にも「与うるは受くるより幸いなり」とあります。与えることは幸せへの遠回りのように見えて、実は近道なのです。だから、心の中を自分のことだけで占めないで、他人のための席も空けておくこと。それが希望を育てるために大切なことなのです。


 このように、生命のはたらきが、私たちに生きる意味や人生において大切なことを教えてくれる例は数多くあります。