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「受喜与幸~受ける喜び、与える幸せ~」 

新原 豊(にいはら・ゆたか)

Vol.9 生命は希望的につくられた存在である

 人間をはじめ、生物はそもそも希望的につくられている存在だと思います。言い換えれば、生命はその誕生の最初から〝希望〟というものをプログラムされて生まれてきているということです。


 たとえば、生命はホメオスタシス(恒常性)という仕組みを生まれながらに有しています。外の環境が変わっても体温や血圧は一定に保たれるし、小さな傷なら放っておいても自然に治ってしまう。外部から侵入してきた異物をやっつける免疫機能も平等に備わっています。


 つまり、生命はあらかじめ「生きる」ようにつくられているのです。生きるほうへと自然に促されている……これが希望的でなくて何でしょうか。


 そう考えると、では生命をそのような形につくったのはだれか。生命にこのような希望の種を植えたのはだれなのか。そういう疑問にぶつかりますが、これは科学の言葉ではいまだ解明されていません。しかし、その存在を「サムシング・グレート(大いなる何か)」と呼び、認めている科学者も大勢います。


 呼び名はともかく、私たちをつくった存在がたしかにあり、さらに驚くべきことに、その存在は、私たちが幸せに生きられるように、環境をすべて整えて、私たちを誕生させたと考えたほうが納得のいくことが多いのです。


 長引く不況や、予想もできない自然災害など、たしかに現代は、希望をもちにくい時代といえるかもしれません。


 しかし、どんな困難の中でも、希望は探し求めれば与えられ、私たちは自分たちの選択次第でそれを育てることができます。希望を見いだすように促すのは、私たちを幸せに導こうとしている生命の指示なのだと私には思えるのです。


 生命に宿っているその根源的な力を信じ、ゆだねることがあらゆる問題を解決する道をきっと開くでしょう。われわれがいまできることは、生命の力の中に希望を探し求めることなのです。


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